霧戦争5期 7週目

  • 2018.09.28 Friday
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狐とは音楽の趣味が合わない

  • 2018.07.12 Thursday
  • 15:32

好きな作家さんを見つけると、熱中してその人の本ばかりを読んでしまう。最近よく読むのは岩井志麻子さんの本だ。特に「現代百物語」シリーズは日常に潜むささやかな恐怖を鋭く捉えていて、夢中になってページを繰ってしまう。平和な日常に差す陰が、ほんの少し濃くなるような読後感が堪らない。

 

怖い話が昔から好きである。去年辺りは小林泰三さんの小説や郷内心瞳さんの怪談にハマって延々と読み漁っていた。岩井志麻子さんにハマるのは実は二回目で、高校生の頃にデビュー作の「ぼっけえ、きょうてえ」を読んで戦慄したのがきっかけだった。国語の授業のおかげで日本の古典文学が読めるようになったあたりで、江戸時代の怪談やお化けの出てくる本を夢中で読みまくった。能や謡にも幽霊が出てくる話が多く、昔の栄華や戦のことを語るが、最後にはみんな虚しく消えていってしまうのが何とも哀れで、夢のようで好きだった。

 

今でも一番尊敬する作家さん方である、荒俣宏さんや京極夏彦さんの本に出会ったのも中学生から高校生の頃で、考えてみたら、読書習慣が確立したその時代に読み漁っていたのはだいたい怖い話だった。今だに怖い話が好きなわけである。子供の頃に一番好きだった漫画も、水木しげる御大の「ゲゲゲの鬼太郎」だった。

 

こんなに怖い話が好きなのに、いわゆる所の「霊感」のようなものが何もなく、一度も「怖いもの」に遭遇したことが無いのは何というか、「下手の横好き(?)」という感じがする。岩井志麻子さんも「現代百物語」シリーズの中で霊感は無いと繰り返し仰っているが、シリーズを通して読んでいると、かなりの数の「怖いもの」に実地で遭遇されているように見受けられる。

 

岩井さんは幽霊を信じていない(半信半疑、と言ったような意味のことを仰っている)そうですが、例えばこれは彼女の実体験で、怪談を話しているときに原因不明の大きな音がしたらそれだけで怖いし、それをたくさんの人が同時に聞いているのは充分怪異でしょう、と読者としては思う。私だったらその場で卒倒しているだろう。岩井さんは「怪異慣れ」していて、むしろそれが日常で、だから逆に「霊感が無い」などと仰るのでは、と、シリーズを通して読んでいると勘繰ってしまう。境界が溶けていて、巫女的である。このシリーズは、そこが一番怖い。

 

矛盾するようですが、私は「怖い話」は好きでも「怖いもの」はたいそう苦手なので、今まで一切怖いものに遭遇した経験が無いのは、大変助かることだと思っている。怖がりなのだ。家の廊下が暗いだけで怖いし、何なら戸が少し開いているだけでその隙間すらもう怖い。昔、実家にいたときには、怖い話を読んでは怖くて一人で風呂に入れなくなり、妹に頼み込んで一緒に入ってもらっていた。

 

なんとウザい姉だろう。旅行に行っても、個室の浴槽は恐ろしいので絶対に使わない。大浴場が無ければ近所で銭湯を探すと決めているので、安宿を取ると結局余計に金がかかる。

 

そんなに怖がりなのに、何で怖い話が好きなんでしょうね。現実逃避かもしれない。恐怖という感情がかなり根源的かつ、強烈な瞬間最大風速を有しているため、何かに怯えている間は強制的に他のことを考えないで済むのだ。仕事で疲れたときや人間関係が上手くいかないときなど、プライベートに持ち込みたくない何かを抱えているときに、ふと怖い話を読みたくなるのはそういう理由だと思っている。

 

実際の怪異なのかはさておき、「怖い話」として語れそうな体験なら私もいくつか持っている。こんな怖がりでも卒倒せずに済んだくらいなので、そう怖くもない話ばかりである。ただ、後から考えたときにあれは何だったのだろうな、と首を傾げるだけだ。その内の一つを語って、今回の日記を終わりにしたい。

 

数年前、国内のとある土地に旅行に行ったときのことである。人に迷惑のかからないような広い野原で、篠笛を吹いて遊んでいた。当時既に婚約していた、現在の夫も一緒だった。

 

季節は秋で、ちょうど、夕暮れ時だった。狐の尾のように白くふさふさとしたすすきが、野原一面に生い茂っていた。まるで歌舞伎の「葛の葉」の、狐妻・葛の葉が我が子との別れを惜しみつつ姿を消した、信太の森のすすき野原のようだった。

広い野原で、私たちの他には誰も居なかったので、遠慮の必要も無かった。「山桜の歌」のような独奏曲から長唄の節まで、思いついたものを色々と吹いて遊んだ。

 

するとしばらくして、どこか少し遠いところから、自分のものではない笛の音色がかすかに聞こえて始めた。何かの曲というわけでもなさそうで、ただ笛の音階をでたらめに、風の音のように鳴らしている。

 

おや、と思って吹くのをやめ、現夫と二人であたりを見回したが、やはり誰もいない。首を傾げてからもう一度笛の歌口に唇をつけ、音を鳴らすと、また笛の音が聞こえてくる。

 

しかも、今度はからかうように、こちらと同じ旋律を吹いてくるのだ。からかわれていると感じたのは、こちらの同じ音をなぞる内に、段々と向こうの笛がわざと旋律を外したり、装飾音を差し込んだり、巧みに音を重ねたりして、楽しげにまとわりついてきたからである。

 

狐だ。咄嗟にそう思った。周りを取り囲むすすき野原に、狐ばかりを連想していたせいだろう。歌舞伎の「葛の葉」に出てくる、狐面を付けた狐妻が、横笛を携えている姿が思われた。

 

怖いものは苦手だが、このときは別に恐ろしくなかった。何処となく、哀愁よりは愛嬌を感じる音色のせいかもしれない。私が何となくムキになって笛を吹き続けている間、現夫はきょろきょろと忙しなくあたりを見回していた。そして曲が終わってから、「今の笛、誰ですかー?」と呑気に声を張り上げた。返事は無かった。

 

夕暮れ時とは言え観光地なので、曲の終わり頃にはすすき野原にぽつぽつと人影が見えた。背の高いむらすすきの向こうをよく探せば、もしかしてどこかに私と同じように、笛を持って観光地にまで遊びに来た観光客が居たのだろうか。狐なぞはどこにも居なかったのか。

 

あまり自分で言いたくはないが、わざわざ遠出をして誰も居ない野原に笛を持ってきて遊ぶなんて、そんな酔狂なことをするのは自分くらいのものだと思う。それともあのとき、たまたま近くに同じような趣味の人がいたのか。相手が狐ではなく人間だったとしても、なかなか不思議な話だと思う。

 

案外向こうも、私の笛の音を聴いて、狐だと怯えていたのかもしれない。落語のようで、想像すると可笑しい。ともかく私だけでなく、現夫もあの笛の音を聴いているので、夢や幻でないことだけは確かである。

 

ところでそのとき、ホテルへと帰るバスの中で、現夫がしみじみと言った。

 

「狐さんのが、笛、上手だったねえ」

 

ムキになるようだが、これだけは今だに納得がいっていない。あのときはあくまで遊びだったのである。あんな適当に吹くんじゃなくて、ちゃんと練習していけば、私のほうが上手かった。

 

だいたい、あんなにやたらめったら装飾音を入れたら粋じゃないんですよ本当は。なので狐とは多分、あんまり音楽の趣味が合いません。

冷蔵庫の中でピッコロさんが気を溜めている

  • 2018.06.25 Monday
  • 12:10

夫が、私の作った料理を覚えられない。結婚してから今まで作った料理で、何が美味しかった? などと聞いても、窮して答えられないのだ。多分、何を作ったのか自体を覚えていない。

 

こう書き始めると愚痴のようだが、そのことに対して不満は何も無い。恐らく私の作る食事だけでなく、料理全般、もっと言うと食べることに対して興味の薄い人なのだ。興味が無いなら覚えられないのも当たり前だろう。食も細いので、体型はとてもスリムだ。羨ましい限りである。

 

そもそも、美味しかった料理を私が尋ねたのだって、夕食の献立を考えるのに楽をしたかったというだけのことなのだ。答えてくれないならくれないで、私の好きなメニューを作るだけなので、特に問題は生じない。もっとも、昨日は何を食べたか? と聞いても答えがスムーズに出てこないのは、記憶力のほうの心配をしてしまうが。

 

しかし元来、夫は物覚えの悪い人ではない。むしろ自分の興味のある範囲のことなら、こちらが驚くほどの記憶力を発揮する。格ゲーのごちゃごちゃした操作コマンドを覚える早さなんかは、私などとは比べ物にならないし、そうでなくとも些細なこと、たとえば友人の誕生日や遊んだときに着ていた服の柄など、周囲がえっと騒ぐほど細かなことを覚えていることがある。

 

ここまで書いて気が付いたのだが、服の柄以下って、食にどれだけ興味が無いんだ。すごいな。逆に。

 

夫の趣味はゲームと漫画で、私が見ている限りでは一番記憶力が発揮されるのもその分野である。特に好きな漫画、「ドラゴンボール」は小学生の頃から何度も読み返しているせいだろう、このページの次のコマで誰それがこういうセリフを言って、というのを一字一句違えず覚えていたりする。

 

そのことに対して本人は、些か子供じみたプライドをもってもいるようで、私が「ジャンプ+」というスマホアプリで更新されるドラゴンボールを毎週一話ずつ読んでいると、先の展開やセリフを嬉々として教えてきたりする。

 

まるで小学生なのだが、本人がこの上なく楽しそうなのでまあ、別にいい。なぜ毎週毎週、緻密なネタバレを受けながらドラゴンボールを読んでいるのかはよくわからないが。

 

意識して記憶しよう、としているわけでも無さそうなので、完全に好きが高じた結果なのだろう。ただその記憶力、他の所に生かせないのかな。思わずそう思った(変な日本語だ)ので、聞いてみた。

 

「たとえばなんだけど、料理の名前がドラゴンボールの技だったら覚えられるの?」

 

いや、何わけわかんないこと聞いてるんだ。言った直後、自分でもそう思った。

 

夫もそんな顔をしていた。双方微妙な表情のまま、3秒くらい間が空いた。

 

「……覚えられる、かも」

 

マジかよ。覚えられるかもなのかよ。そう思いながら、私は提案する。

 

「たとえば……昨日作った牛肉のトマト煮込み、あれは魔貫光殺砲でどうかな」

 

夫は神妙に頷いた。「覚えた。魔貫光殺砲ね」。覚えてくれたようだ。いや、まあ、魔貫光殺砲ではなく、牛肉のトマト煮込みなんですけど。

 

双方に意見の交換がなされ、次にさつまいもの天ぷらが「気円斬」と命名された。私はパプリカのマリネを気円斬にしようとしたのだが、これには夫から反対意見が出た。色と形がそぐわないと言うのだ。

 

なるほど、筋の通った意見だ。初期案をブラッシュアップし、外形が似通ったものを探した結果、さつまいもの断面の形に着目することとなり、こちらのほうを気円斬とした。

 

何だかドラフト会議のようで楽しくなってきた。ドラゴンボール食材必殺技ドラフト会議である。調子に乗った私は、最近自分の中で流行っているゴボウの漬物をかめはめ波にしてはどうか? と持ちかけた。これには即座に、夫から厳しい「NO」が突きつけられた。

 

「かめはめ波は、そういうんじゃないから」

 

ファンの思い入れを感じる、重みのある一言であった。確かに主人公・悟空の必殺技たるかめはめ波を、あたらゴボウの漬物なぞに使うのはファンとしては頂けない事態であろう。思いやりが足りなかった、と私は反省する。

 

いや、ゴボウが悪いってんじゃないんですけど、悟空はなんかゴボウじゃないじゃないですか。ゴクウとゴボウは似てるんですけど。

 

かめはめ波は、鶏の唐揚げに決まった。鶏肉好きの私としてもこれは嬉しい結果だ。和やかな空気が互いの間に流れ、会議の緊張がやわらいだ。

 

「最後に一つ、良い? やっぱり、魔貫光殺砲は牛肉のトマト煮込みじゃないと思う。色にもう少しこだわりを持ちたい」

 

夫の提案に、私は少し考えてから返答する。

 

「じゃあ、最近よく作ってるゴーヤのスープとかでどうですかね……?ピッコロさん、緑だし」

「OKだと思う。ありがとう。実りのある会議だった」

 

私たちは最後に、かたく握手を交わした。こうして我が家での料理の呼び名はそれぞれ、さつまいもの天ぷらは気円斬、鶏の唐揚げはかめはめ波、ゴーヤのスープは魔貫光殺砲と決まった。

 

 

我が家ではゴーヤのスープを作るとき、一度ゴーヤを茹でてスープに味をつけたものを一晩冷蔵庫で寝かせてから、翌日調理することにしている。ゴーヤの苦味を取るためだ。私なぞはこの苦味こそが好きなのだが、夫が苦手なのでそうしている。

 

「明日の夜ご飯は魔貫光殺砲だよ」

 

朝からゴーヤをグツグツ煮ていると、夫が匂いで顔をしかめる。私は笑ってそう教える。

 

「今夜はまだ、魔貫光殺砲は食べられないの?」

「魔貫光殺砲だからねえ。寝かさないと苦いんだよ」

 

そんな会話をして鍋の火を止め、冷ましてからフタをして冷蔵庫にしまう。その様子を見ながら夫が、「魔貫光殺砲は、撃つのに時間がかかるからね。気を溜める必要があるんだ」としたり顔で言う。

 

奇しくも調理法と漫画の設定が噛み合っていたわけである。誰がうまいこと言えと。

 

そういうわけで、今朝は冷蔵庫の中に魔貫光殺砲を仕舞ってきた。今頃はピッコロさんが、冷蔵庫の中で魔貫光殺砲のために気を溜めている。ピッコロさんのおかげで、美味しい魔貫光殺砲が出来上がるはずだ。明日の夜が楽しみである。

失楽園

  • 2018.06.24 Sunday
  • 13:50

熊のぬいぐるみが好きだ。ここ数年のお気に入りは一昨年ディズニーシーで買ったダッフィーのぬいぐるみで、購入以来、毎晩一緒に寝ている。

 

その前の相棒はリラックマだった。子供か。

 

去年からは、ダッフィーに服を着せるようになった。友人からディズニーシーのお土産としてもらったものだ。シーで売っているダッフィーの服は、本体のぬいぐるみとは別売りなので、ぬいぐるみを買っただけでは服は手に入らない。うちのダッフィーは丸一年間、裸で過ごしていたわけである。

 

服だけでもそこそこ良い値段をする。なので、あえて手を出さずにいたのだが、もらった服をありがたく着させてみたらべらぼうに可愛かった。思わず写真を何枚も撮って、服をくれた友人に狂喜しながら送りつけた。あまりに大量の写真を送りまくったので、「業者のスパムかと思った」と返信が来た。「可愛いでしょう」と返事になっていない返事をした。自己満足も甚だしい。

 

しかし同時に、やはり私の「あえて」は正しかった、これはやばいかもしれない、と、ある種の危機感が冷静に働いてもいた。この感情が行き着く所まで行けば、私はきっと、ダッフィーの服を購入するためだけにディズニーシーへと通い詰める女になってしまう。音楽やら読書やら同人活動やら金の掛かることばかり好きなので、これ以上不経済な趣味を増やすのは避けたい。この一着だけを大事に愛でよう、とそのとき誓った。

 

誓ったものの、根がどうしようもなくずぼらなので手入れは数ヶ月に一度程度だ。面倒くさがりながら、それでも天気の良い日を見計らっては、ダッフィーとその服を洗濯機に放り込んでいる。毎晩抱きしめて寝ているので、もっと頻繁に洗濯したほうが良い気もするのだが、傷むのが怖くて適切な頻度が計りかねる。何となく、そろそろ汚れてきたかな…というタイミングを見計らうようにはしているのだが。

 

洗濯するときには、当然ながら服を脱がす。このとき、服を脱がせて丸裸のダッフィーを見ると、何故か微妙な気分になる。身もふたもないが、「裸だ……」と思ってしまうのだ。いや、ダッフィーが裸だからって、別に全然、どうということも無いんですけれども。実際、購入当初は丸一年間、裸で過ごしていたわけで、そのときはどうとも思っていなかったんですけれども。

 

一回服を着た姿を見慣れてしまうと、服を着ていない姿はどうにもこうにも「裸」なのである。パラダイムシフトというやつだ。「服を着ていない姿が普通」から「服を着た姿が通常」に、いつのまにか私の認識が変化していた。

 

洗濯のため、ダッフィーの服を脱がす。その毛深い裸身をベッドシーツの上に横たえるダッフィーと、私との間に微妙な緊張感が張り詰める。ありていに言えば、私がちょっと照れている。何でだ。馬鹿か。

 

これは、もはや失楽園である。無垢だったあの頃にはもう戻れない。進んだ時計の針は巻き戻らない。羞恥を知った我々(※ダッフィーと私)は、裸身で過ごした楽園の日々を夢見て、地上で服を身につけながら生きていくしかないのだ。

 

正直に申告すると、道端などでダッフィーを持っている人とすれ違うときも、ダッフィーが裸だとその都度ちょっと照れている。これはちょっと何というか、自分でもかなり気持ち悪いなと感じていて、もはやただのすけべな馬鹿だと思う。

 

いや。すけべな馬鹿て。すけべか馬鹿、どっちかだけならまだ救いもあろうに、ダブルは全然駄目でしょう。すけべな馬鹿て。

 

ディズニーシーには、ダッフィーのぬいぐるみを持って遊びに来ている人がたくさんいる。その中にはもちろん、服を着ていない裸のダッフィーも。このすけべな馬鹿は、次にディズニーシーへ行ったときには、全方位に向けて3秒に1回ペースで照れるはめになるのではないだろうか。いかん。もうシーには遊びに行けない。ただ、節約にはなって良いかもしれない。他の服に目移りしないので。

ゴニョニョショック

  • 2018.06.10 Sunday
  • 01:22

ゴニョニョをドゴームに進化させた。大変なショックを受けた。

 

知ってる人以外は何の話をしているのだか意味がわからないと思うが、アプリゲーム「ポケモンGO」に出てくるポケモンの話である。リリース当初に懐かしさで少しだけプレイして、それきり飽きて放置していたのを最近何となく再開してからは、以前よりもよほどハマって遊んでいる。プレイしている他のアプリゲームと違って、インドアではなく外で自分の足を使ってポケモンを探すのが楽しい。

 

ジムでのバトルに勝つことや、ポケモン図鑑を埋めることにはあまり興味が無い。もっぱら自分の好きなポケモンを捕まえて、集めることに腐心している。ここで言う私の好きなポケモンとは、マリルやピカチュウ、プリンやエネコなんかの可愛いポケモンのことです。つぶらな瞳でフワフワしてたり、モフモフしてたり、モチモチしてたりすればするほど良い。イーブイなんかが出てきたらもう最高だ。ニヤニヤしながらモンスターボールを投げまくってしまう。

 

いつも思うんですけど、ニヤニヤしながら可愛い小動物にボールをぶつけまくる良い歳した大人の図、かなり危なくないですか。自分がイーブイだったら絶対こんな奴に懐かないと思う。

 

可愛いものにそこまでテンションが上がる気持ち、というのももしかしたら理解され難いかもしれない。何というか、特に疲れてる時に可愛いものを希求する度合いは本当に、部活帰りの男子高校生の牛丼を食べたい気持ちに匹敵するのだが、この喩えで伝わるだろうか。ここでの可愛いは我が身を飾るものというより、精神の胃袋を満たす栄養なのですが。

 

ぜひ、運動部の部活帰りの飢えた男子高校生になったつもりで想像してみてほしい。疲れきって腹がペコペコで、早く家に帰ってメシが食いてえ、メシを食うためにどこでもドアが欲しい、メシが欲しい、メシが食いてえ、胃袋が切なく泣いている。そんなふうにメシのことしか考えられない状態でスマホを開いたら、牛丼が歩いてるんですよ。道を。しかも一杯や二杯じゃなく、たくさんの牛丼が。牛丼が!道を!歩いている!!

 

捕まえるでしょ。普通。

 

そういうわけで、私にとってのポケモンGOは、だいたい男子高校生にとっての牛丼GOです。

 

ちなみに私がポケGOをプレイするのは主に仕事からの帰り道なので、プレイ中のテンションとしてはまさに地獄というか、肉体のコンディションが最悪なので精神はかえって無の境地というか、疲弊しきった体に宿る渇いた心だけが「可愛い」を求め、ただひたすらにモンスターボールを投げまくるという、阿修羅か全自動ボール投げ機のような状態だ。

 

しかし、さしもの無感情な全自動ボール投げ機も、可愛いポケモンにぶつけたボールが「コンッ…」と跳ね返ってくるのを見ると何となく心が痛んでしまう。そこにポケモンの「質感」を感じてしまい、ボールをぶつけることへの罪悪感が芽生えるのだ。友達であるべきはずのポケモンに私は何を……と立ち止まって我が行いを振り返るものの、よく考えなくとも友達に可愛さを求めてボールをぶつけまくってコレクションするのは狂人のやる事なので、私とポケモンは友達にはなれないのだった。(あとさっきあろうことかポケモンを牛丼にも喩えてしまったので、その時点で友達では全然無い)

 

このポイントに延々と引っかかり続けることもできるんですが、文章の趣旨と逸れるというか、今日はゴニョニョの話をしに来たのでそろそろゴニョニョの話に戻ります。

 

プリンやピカチュウ、マリルなんかと一緒で、ゴニョニョもとても可愛い。出現率も高いので、気に入ってよく捕まえていた。ゴニョニョはまず、あの丸っこいフォルムが可愛い。触ったら何となくフワフワモチモチしていそうである。可愛い。折れた耳がうさぎのようで可愛いし、十字に描かれた目が何ともとぼけた味わいで可愛い。超可愛い。

 

ゴニョニョを見かけては、全自動ボール投げ機がボールを投げる。可愛いゴニョニョにボールが「コンッ……」と当たる。痛そう。だが、すまねえ、ゴニョニョ……俺の牛丼となってくれ。

 

ポケモンGOでは、ポケモンを捕まえて集めた「ポケモンのアメ」というアイテムが、ポケモンを進化させるために必要となる。

 

ポケモンを進化させるためには同じポケモンを何匹も捕まえる必要があるのだが、ニヤニヤしながらひたすら「可愛い〜〜〜;;;;;;」を心の中で連呼してゴニョニョを捕まえまくっていたせいで、気が付けば進化に必要な分のゴニョニョのアメをとっくに集めきっていた。

 

せっかくなので、進化させてみようかなと思い立った。ゲーム画面では、進化するポケモンのシルエットだけが表示されている。塗りつぶされていて真っ黒なので、どんな姿になるのかこの時点では不明だ。

 

話がしょっちゅう逸れて申し訳ないのだが、私はポケモンというゲームに初代のゲームボーイの赤緑以降、金銀クリスタルまでしかプレイしたことがない。ゴニョニョはその後に発売されたシリーズに登場したポケモンのようで、ポケGOで見たのが初めてだった。

 

要するに、ゴニョニョを進化させたらどんなポケモンになるのか、私はその時点で全く知らなかった。何の情報も持っていなかったのだ。

 

でも、何の根拠も無いけれど、きっと可愛いポケモンに進化するんでしょう? と思っていた。だって、プリンが進化したプクリンとか、マリルが進化したマリルリとか、みんな可愛いじゃないか。ゴニョニョもそうなると思った。というか、みんなそう思うでしょうこれは。

 

知ってる人には予想がつくオチで大変申し訳ないのだが、恐らくはゴニョニョを可愛がって育てていた過去の幾人ものプレイヤーたちと同様に、「嘘やん」と私も呟いてしまった。あまりの変貌ぶりだった。そこにいたのは、何と言うか、ちょっと表現しづらいくらいにふてぶてしい表情の、ドゴームとかいうゴツイ名前の、歳をとった中年のバイキンマンみたいな姿に進化したゴニョニョだったのだ。

 

ありていに言えば、あまりにも可愛くなかった。あの愛らしいゴニョニョはどこに行ったのだ。

 

いや、ゴニョニョはどこにも行っていない。あの子は今も目の前にいる。私が勝手に「可愛いゴニョニョちゃん」という理想をこの子に押し付けていただけなのだ。牛丼が道を歩いていても、普通は捕まえません。牛丼はお店かお家か、しかるべきところで食べるものです。あと、牛丼は普通道を歩きません。

 

私は澄んだ気持ちで中年になったバイキンマンを見る。いや。普通に気持ち悪いなこいつ。

 

ここに至り、私とゴニョニョの不健全な蜜月は終わりを告げた。以上がゴニョニョショックの経緯です。ゴニョニョショックの説明終わり。

 

ちなみに、ゴニョニョの進化にはまだ続きがある。ゴニョニョ、からの→ドゴーム、さらにそこからの→バクオングという進化で、ゴニョニョは最終的に見る影もなくゴツく逞しくなる。

 

厳めしい顔つき、顔周りから突き出た無数の謎の突起、どっしりと構えた、いかにも戦闘向きの体格。あのゴニョニョに感じた「可愛さ」は、今や片鱗すら見当たらない。

 

ゴニョニョ→ドゴームの予想だにしない方向性の進化にはショックを受けたものの、この最後の進化にはもはや何だか惚れ惚れとしてしまった。あの子猫ちゃんが長い道のりを経て、こんなに逞しい猛虎に成長したのだ。モンスターボールをぶつけられても、その隆々とした腕で難なく弾き飛ばしてくれそうだ。格好いい。モンスターボールを片手の一振りで軽く跳ね返して、鼻で笑ったあと、こちらに反撃までしてくれそうで良い。今度はこっちが牛丼になる番だ。ああ、ゴニョニョに食べられる!

 

勝手に興奮しまくっている。私は何と言うか、こういう、予想外の方向に吹っ切れてくれる男に弱い。理想を押し付けて猫可愛がりしていた相手に、いきなり自分の身勝手さを突き付けられたような気分になって興奮してしまうのだ。いや、相手にしてみたら自分の好きなように成長しただけなわけで、それこそ知るかよって話だと思うんですけど。その前に、バクオングが男かどうかもよくわからないんですけど。

 

こんなに長々と記事を書いて最終的に何が言いたかったかって言うと、つまりゴニョニョが辿る進化の過程は、PSYCHO-PASSというアニメに出て来る宜野座伸元というキャラクターの生き様に似ているのではないか? ということなんですけど、多分この時点で大抵の人は「は?」て感じだろうし、この話続けるとマジで長くなるんでやめますね。今度こそおしまい。

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