卵怪談 第一夜

  • 2017.09.22 Friday
  • 23:55

『卵怪談』(https://plag.me/p/textrevo06/1382)という本を出してるのですが(※リンク先はテキレボ6のwebカタログです)

 

タイトルのせいか、怖そうで買えないとか、どれくらい怖いのかわかんない、という声を最近よく頂きまして

 

あっマジか!ごめん!と思ったので、急に第一話を丸ごとアップしてみます。第一話っていうか、連作でも何でもないので第一話って言って良いかわかんないんですけども。収録してあるうちの最初の一話です。

 

二話しか収録してないんですけれども。

 

この程度にしか怖くないのでつまりは多分全然怖くないです。もしお口に合いましたら、よろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

卵怪談 第一夜

 

 

 愛する妹に初潮が来た日、兄は悲しみのあまり慟哭した。妹の細いまっすぐな足の間から流れる一筋の血の河を見て、声をあげて泣きながら床にくずおれた。この兄妹はひどく貧しかった。暮らしのため、兄は妹を人買いに売らねばならない。たった一握りの銀貨と引き換えに、愛する妹の体を見知らぬ男にくれてやらねばならない。

 

 泣き続ける兄の背中を、妹は困惑しながら一晩中撫で続けた。妹はその無垢さゆえ、今宵決定づけられた己の運命を何も理解していなかった。幼く柔らかい手のひらの宥(なだ)めるような感触が、兄の涙を余計にせきあえぬものとした。歩いただけで軋んだ音を立てる家のぼろ木の床に、妹の足から伝った温かい初経の血が落ちた。兄の涙と妹の血が、二人が育った家の床に混ざって染みた。

 

 兄は次の日の朝早く、住み慣れた家を出て行った。寝室では妹がまだ健やかな寝息を立てながら眠っている。唇の端にほんのりと笑みを浮かべた無垢な寝顔をじっと見つめ、兄はその枕に沈むばら色の頬の隣に卵を一つ置いてきた。隣の家の鶏が今朝産んだ白い卵である。盗んだばかりの卵はまだ、親鳥の胎内の温みをもったままだった。

 

「さあ、妹よ。お前はこれから、神様のお嫁さまになるのだよ。毎晩大事に、この卵を胸の中に抱いて眠りなさい。一人の夜は寂しいだろう。せめて雛鳥が親鳥に抱かれて見るような、優しい夢を見て眠りなさい」

 

 妹は兄の言葉をまどろみの中で聞いていた。そして兄が去ったあと、もう一度眠りについた妹は、夢と現実のあわいのような夢の中で大きな白い鶏と接吻をして、一つの白い卵を産んだ。

 

 兄の言葉とは裏腹に、一夜明ければ妹にはもう一人で寝る夜など二度と訪れはしなかった。人買いに連れられた彼女はそのまま娼館に売られた。今までの貧しい暮らしの中では着たことも無いような、綺麗なべべを着せられて、その日のうちには初めての客を取らされた。

 

 それから彼女は毎晩、客の男と寝て過ごす夜を送った。だから彼女が孤独になるのは夜ではなくて、客足の途絶えがちになる昼間だけだった。妹はこの館に来た頃には、眠る時だけはせめて優しい兄の夢を見られるようにと、夜には自分の枕元にあの卵を置いていた。しかし客が卵を妙に薄気味悪がって嫌うので、じきにやめて自分の化粧箱の引き出しの中にしまいこんでしまった。

 

 だから、彼女が卵のことを思い出して取り出してみるのはほとんどが昼間の時分である。訪れる客も無く、相部屋の他の女たちも皆こぞって出払っている時にだけ、妹は小さな化粧箱の引き出しの一番奥から白い卵をそっと取り出し、温めるように両手の掌で包んでみる。そしてただじっと見つめてみる。まるで誰にも知られずこっそりと隠し持った、故郷からの手紙のように、胸の中にそっと抱いてみる。

 

 ところで妹の売られた店には、手癖の悪いことで有名な娼婦が一人居た。ある日、うっかりと手持ちの口紅を切らしてしまったその女は、他の女の化粧道具から口紅を拝借しようとして、その時たまたま客を取って留守にしていた彼の妹の部屋に忍び込んだ。女は目敏く化粧箱を見つけると、すぐに物馴れた盗人の手つきで引き出しを上の段から順番に物色し始めた。

 

 さほど時間もかからぬうちに、女は引き出しの奥から奇妙なものを見つけた。卵である。つるりとした白い鶏卵は何故か、産み落とされたばかりのようにまだ温かい。何故こんなものが、化粧箱の中に後生大事に仕舞い込まれているのだろうか。

 

 ちょっと考えて、女はすぐにピンときた。きっとこの化粧箱の持ち主の彼女は、調理場から客に供するための高級品の卵を一つ、ちょろまかして腹が減った時のためにでも隠して置いたのだ。娼婦達に店から与えられる飯はいつもとても貧相で、こんな新鮮な大ぶりの卵なんて祝いごとの時でもない限りは食わせてもらえない。ここの女たちはいつでもみんな腹を空かせている。盗人扱いされるのはいつも自分ばかりだが、折檻すら覚悟で調理場から盗み食いをする者が、自分以外にだって居ないでもないことを女はちゃんと知っているのだ。女はこう思った。そうだ、だから、きっとこの新入りの女だってそうに違いない。

 

 新入りの弱みを握った彼女は、上機嫌で服のポケットの中に口紅と他にも二つ三つの化粧品をくすね、それから辺りを慎重に見回してからスカートを広げ、下着の中に卵をくすねた。そして、部屋を後にしてしまった。

 

 妹が部屋に帰って来たのはそれからすぐのことだったが、その時にはもう空になった引き出しの化粧箱を見つけただけで、卵を持ち去った犯人が誰なのか見当もつかなかった。

 

 その晩、妹の枕元には大きな鶏になった兄が立った。夢かうつつかも判じ難いとは言え、久方ぶりの兄妹の再会である。妹はその晩も客を取っていた。兄は悲しそうな禽獣の瞳で、誰とも知れぬ男の隣で眠る妹の、すっかりと青白い頬を見つめた。

 

「どうしてもっと人目に触れない場所に、卵を隠しておいてくれなかったんだい。あれはあの憎たらしいちゃっかりとした女が、夕餉の糊のようなパン粥に落として美味しそうに食べてしまったよ」

 

 兄の言葉で妹はうっすらと目を覚ました。客の男はぐっすりと深いいびきをかきながら寝こけていて、夜が明けるまでとても目覚めそうにない。

 

「お前の過ちのせいで、私はもう二度とお前に会えなくなってしまったのだよ。悲しいことだ。今夜は我ら兄妹の今生の別れの夜だ。だから私は、こうしてわざわざ鳥に変じてまでお前に別れを言いに来たのだよ」

 

 妹は頷いた。そしてはだけた夜着の衿や乱れた裾を直しながら起き上がると、布団の上にきちんと正座をして答えた。

 

「存じております。ですから今宵は、私からも兄さまにお別れを申したいと思います」

 

 兄は悲しげにじっと妹を見た。妹は続けた。

 

「片手に足りないくらいの銀貨と引き換えにこの体を売られてより、私はずっと、世界中の男の人を憎んで参りました。心細い夜がいくつもありました。そんなときには幸せだった頃の自分の影を求め、唯一の肉親であるあなたに会いたいと思ったこともございます。ですが、今では違います。兄さま。今では私は、あなたをはっきりと、世界で一番憎んでおります」

 

 妹の強い口調に兄はとても驚いた。彼は今でも彼女を心の底から愛しているつもりだったし、今生の別れののちもその思いは変わらぬ決意を固めていたが、その妹当人が自分のことを憎むなどとは思いも寄らなかったのだ。

 

「あなたは私の仇です。世界で一番憎い男の人です。ですので、お別れは私から申し上げたいと思います。再会はもうありません。

 

私はあなたの姿を夢にもうつつにも二目と見ないし、あなたも私の姿をこの世にもあの世にも二目と見ないでしょう。さようなら、私の兄さま。もう二度と夢の中までも、私に憎いあなたのことを思い出させないで」

 

 妹は白い夜着の袖の内から、その袖よりも更に白い卵を取り出した。兄が驚いて羽ばたこうとする暇も与えず、彼女は手のひらの上に卵を乗せた。兄は恐ろしげに短く息を詰めた。

 

 夜の闇の中に卵がほのかに浮かび上がるように白い。妹はそっと目を閉じると力を込めて、手の中の卵を静かにぐしゃりと握りつぶした。兄は翼を大きく広げて苦しそうに身をよじり、その姿は一瞬で霞のように掻き消えてしまった。

 

 

 

 

 この兄妹の過ちは、互いに「唯一の家族」という幻想を抱き合いながら愛し合ってしまったことである。世の中には一番に愛し合うことのできる肉親同士などはそんなにいないものであるし、それを承知でいた方が実際に肉親と付き合うときには上手くいくことの方が多いものなのだ。

 

 ところで妹の化粧箱の引き出しには、いまだに二つに割れた卵の殻の残骸がしまってある。彼のこそ泥の女はまんまと上手に卵を平らげてしまった後、自分が調理場で盗みを働いたと思われてはたまったものではないと考えたのであろう。後日、またもこっそりと妹の部屋に忍び込んで、今度は化粧箱の中に卵の殻を戻しておいたのである。
殻だけ戻ってきた卵を見て妹はやや驚いたが、彼女はそれを捨てることはしなかった。引き出しの奥にそれを押し込んだだけで、そのまま捨てずに仕舞っておいたのだ。

 

 化粧道具と一緒くたにされて白粉まみれのそれを、妹はたった一人の昼下がりなどには思い出して、つまんで取り出してじっと眺めるときがある。しかしそれは何の変哲もないただの卵の殻だ。なので見ているのもすぐに飽きて、また引き出しに仕舞い直してしまう。

 

 それでも彼女は何となく、何度だって引き出しの中を開いて卵の殻を手に取ってしまう。まるで忘れたいのに忘れえぬ思い出のように。切り離せぬ生まれた時の記憶のように。

 

 愛の名の元に自分を棄てた兄の遺物である。自分を愛した男の形見である。憎んで殺した男の遺品である。しかし、所詮はただの卵の殻である。やがては彼女もこのぼろぼろの殻のことなどどうでも良くなって、くず箱の中にでも放って捨ててしまうかもしれない。近い将来、彼女はきっとそうするだろう。そしてやがては兄の顔だって、ろくろく思い出せなくなるかもしれない。日々の忙しさがきっと彼女をそうさせるだろう。世界で一番憎んだ男が世界で唯一の血を分けた兄妹であったことを思い出さない日々だって、いつの日か彼女には訪れるのだ。

 

 そして彼女は今日も薄暗い孤独な昼下がりに、何度も手に取ってもうぼろぼろになってしまった卵の殻の一片を、そっと手のひらに乗せて眺めている。そうそれは、まるで故郷から来た手紙のように。何度も開いてかすれて文字の読めなくなった、肉親からの便りのように。かつて愛してもはや永遠に愛せぬものを、誰にも知られずにその胸に抱いて、彼女は今日も、己の過去との再会を期さない。

 

 

 

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