叫んだときに一番カッコいい記号の名前は、「アンダーバー」だと思っている。漫画とかアニメの必殺技っぽい。ぜひポーズを決めながら、ヒーローの必殺技のように、高らかに大声で叫びたい。必殺!アンダー・バー!!
そんな話を夫にしたら、「ダサくない?」と一言で斬って捨てられた。いささかムッとした。じゃあ、どんな記号がカッコいいのか言ってみろってんですよ!啖呵を切ると、夫は少し思案してから、ぽつりと呟いた。
「ダブルクォーテーション」
思わず口に手を当て仰け反りながら、ッヒィ〜〜〜!!!と情けない悲鳴をあげてしまった。カッコいい。これは確かにカッコいい。負けた、と思った。今までカッコいいと思っていたアンダーバーが、ダブルクォーテーションに比べると世代一つ分くらいはダサく見える。オモチャ売り場で子供たちが群がり、品薄状態のダブルクォーテーションの隣で、半額セールの在庫が山積みとなった寂しいアンダーバーの姿が瞬時に脳裏をよぎった。
アスタリスクもカッコいい、と夫は続ける。だがしかし、この意見には少しばかり反発させてもらった。アスタリスクは逆にあまりにカッコ良すぎると言うか、アスタリスクがカッコいいことは既に万人の知るところである。目新しさに欠ける。そう指摘すると、「能力による」と夫はさらに反論した。
「アスタリスクは……その魂に星の力を宿せし者の能力……。だからなんか……すごい強い星の力とかが……使える!!」
魂に宿りし星の力。こんなカッコいい響きに心ときめかない小学生がいるだろうか。目新しさに欠けようがなんだろうが、やはりカッコいいものはカッコいいのだ。いや、小学生ではなく、もうアラサーなんですけども。
パソコンのキーで言ったら、デリートもカッコいい、とさらに夫は続ける。私は思わずもう一度口元を押さえた。デリートの能力をその身に宿せし者の悲劇的な運命に、一瞬で思いを馳せたからである。
彼はこの世の万物全てを指先一つで消去、“デリート”してしまう、最強の能力者である。絶対、「俺には感情が無い……この能力(ちから)で、自分の心も“デリート”したんだ」とか言う。間違いなく敵キャラだ。能力を駆使し、冷徹な殺戮を繰り返す彼には、アンダーバーとダブルクォーテーションのバディも随分と苦しめられた。
しかし戦いの中で、デリートに変化が訪れる。彼には昔、恋人がいた。しかし彼は自分の能力を制御できなかったことで、その恋人をも“デリート”してしまう。デリートが感情を失ったのはその一件からだった。つまり彼は、自分の心を“デリート”してしまったわけではなく、事件のショックから心を閉ざしていただけだったのだ。
そのことに気づいたデリートが選んだのは、戦いを止め、今度は正真正銘、自分自身を“デリート”することだった。ボロボロの体で必死に制止するアンダーバーに、無表情だったデリートは初めて微笑みを浮かべて見せた。
「あいつと同じところに行かせてくれ……」
その表情はとても穏やかだった。それでもなお彼を止めようと、力を振り絞って手を伸ばすアンダーバーを、今度はダブルクォーテーションが必死に押し留める。わずかに届かなかったアンダーバーの指先で、デリートの姿はフッと掻き消えた。
※
後日、とある都内の霊園に訪れたアンダーバーは、その片隅で意外な人物を見つけた。
「……ダブルクォーテーション」
ぽつりとその名を呟く。ダブルクォーテーションは振り向き、「あなたが来るとは思いませんでした」と淡々と呟いた。
「……こっちのセリフだ、それは」
不貞腐れた返事をしてしまった気まずさを誤魔化しながら、アンダーバーはダブルクォーテーションの隣に並び、一緒にしゃがんで手を合わせた。
墓石に刻まれた名前の内には、デリートの名も並んでいる。
「……消えちまったからな、あいつ。居ないところで拝まれても、何とも思わねえかもしれないが」
「良いんじゃないですか?こういうのは、残った側が気持ちの整理のためにやるようなものですから」
残った側。それは即ち、自分たちのことか。そう考えると確かに、この霊園に自然と足が向いてしまったのも、デリートのためというよりは自分のためであるような気がする。
ちらり、とアンダーバーは、隣で目を閉じるダブルクォーテーションの端正な横顔を盗み見る。つまりこいつもまだ、気持ちの整理が付いてないってことなのか。
デリートを助けてやれなかった。その悔しさをつい、ダブルクォーテーションに八つ当たりでぶつけてしまった。どうしてあのとき、俺を止めたんだ!デリートが消えた後、ついさっきまで彼が立っていた地面を殴りながら、そう言って悔し涙を流すアンダーバーから、ダブルクォーテーションはただ黙って目をそらすだった。それから喧嘩別れみたいになって、ダブルクォーテーションとは暫く顔を合わせていない。
普段から、ダブルクォーテーションとは喧嘩ばかりだった。成り行きでバディを組むことになったものの、互いに不満たらたらだった。一回りも世代が違えば、性格も違い過ぎた。年上で情に脆く、熱血漢のアンダーバーをダブルクォーテーションは鬱陶しがったし、年下で妙に冷めたところのあるダブルクォーテーションの生意気さを、アンダーバーは「ヒーローには向かない」と頑として認めなかった。
二人の言い合いはいつも激しかった。アンダーバーはダブルクォーテーションに対して、「お前には血が通ってない」なんて、それこそ冷たい物言いをすることさえあった。でも、だからこそあの日……デリートが消えたあのときには、ダブルクォーテーションに対して突っかかるような真似をしてはいけなかった。いつもならすぐに皮肉な憎まれ口で言い返してくるダブルクォーテーションが、じっと口を噤んだままだった。そこでようやく、この若者も自分を責めているのだと、鈍感なアンダーバーは自分の大人げなさに気付いたのだった。
「……悪かったよ、あのとき」
言いあぐねて曖昧な表現になったが、同じことに思いを馳せていたのだろうダブルクォーテーションには、それで通じた。ダブルクォーテーションは眼鏡の縁を指で軽く押し上げながら、「こっちこそ」と口を開いた。
「すみませんでした。あのとき僕があなたを止めていなかったら、もしかしたら、デリートは助かって……」
「いや、謝らないでくれ。あのときはお前が正しかった。もしお前が止めてくれなかったら、あいつの能力に巻き込まれて俺も“デリート”されていただろう。今頃は俺も墓の下だ。だから……ありがとうな、ダブルクォーテーション」
照れ隠しに、帽子を目深に被りなおしながら頭を下げる。もっと早く、自分から謝るべきだった。アンダーバーはもう一度、自分の大人げなさを恥じた。大人げない、なんて、ダブルクォーテーションにいつも喧嘩のたびに言われていたはずなのに。今さらのように身に沁みた。
「今度からは、冷静になるよ。お前みたいに」
「いえ……そんな必要は、無いんじゃないですか」
「?」
「あなたの、良いところだと思いますから。その、熱血で、情に厚くて、向こう見ずなところ。まあ、鬱陶しいときも多いですけど……」
「余計なお世話だ」
思わずいつものようにムッとする。ダブルクォーテーションは、至極真面目な顔で続けた。
「でも、心を失くすのは怖いことだって、彼が……デリートが教えてくれましたから。僕の隣には、あなたみたいな人が居てくれると、きっとちょうど良いんです」
アンダーバーはきょとんと目を丸くした後、ダブルクォーテーションに向かってニッと笑ってみせた。ちょうど同じことを考えていた。もしかしたら自分たちは、良い相棒になれるのかもな、と。
ダブルクォーテーションも、珍しく唇に笑みを浮かべていた。「行くか」「ええ」声を掛け合って立ち上がる。次なる強敵が、自分たちヒーローを待っている。
二人が背を向けて後にした墓石。細く二本の線香の煙が立ち昇るその向こうには、デリートの名の隣に並んで、かつての彼の恋人の名も刻まれていた……。
※
あの。
合ってます?こんなんで。
見たことないけどこんな感じの話かなって、何となく勝手に思ってるんですけど。タイガー&バニー。